陶芸人間国宝のわざ紹介

陶芸とはいわゆる“やきもの”をつくる技術のことで、その種類は、原料が土から出来る陶器と石の粉から出来る磁器と大きく2つに分けられます。これらの原料を細かく砕き水をくわえ、ねんど状にしたもので皿や壺、花瓶などの形を作り、窯に入れて高温で焼いて作られます。やきものは日本各地でその土地の特徴をいかして発達して伝えられてきたもので、それぞれの地名がやきものの名前になっているものもたくさんあります。

色絵磁器いろえじき

磁器の釉面に各種の釉彩で文様を表す技法またはその製品。色絵は釉薬を掛けて本焼した磁器の表面に釉彩で文様を描き、さらに上絵窯で低火度焼成される。赤絵(あかえ)、錦手(にしきで)、五彩(ごさい)、粉彩(ふんさい)、豆彩(とうさい)、染錦手(そめにしきで)などの総称で、色絵技法の全てを包含した用語。色絵磁器は中国元時代14世紀に景徳鎮で開発され、明時代15世紀に釉下染付を下地として上絵付をする染錦手が官窯で完成された。日本の色絵磁器の創始は1640年頃に中国の技法が伊万里焼に採り入れられた。有田では色鍋島(いろなべしま)、柿右衛門(かきえもん)、古伊万里(こいまり)、古九谷(こくたに)などの色絵の技法と様式が確立されて急速に窯業が発展した。伝統的な上絵具は、鉄、銅、マンガン、コバルト等の金属酸化物で、「白玉」と呼ばれる媒溶剤で調整される。

このわざの保持者

十四代 今泉 今右衛門いまいずみ いまえもん

2014年保持者認定
色絵雪花薄墨墨はじき萩文鉢

小石原焼こいしわらやき

福岡県朝倉郡東峰村(とうほうむら)小石原(こいしわら)に伝わる陶芸の技法またはその製品。製陶は1665年に高取焼(たかとりやき)の窯元が開窯したことに始まると伝えられ、主に鉄釉(てつゆう)、灰釉(かいゆう)などを用いた茶陶を焼成した。民用陶器の焼成は、窯跡の発掘調査より17世紀後半から始まったと推測されている。17世紀後半には肥前より陶工を招いて、磁器を焼成したというが長続きせずに、その後は陶器生産が中心となった。小石原焼は同地から採取される鉄分を多く含んだ陶土を用いて、褐釉(かつゆう)に藁灰釉や白釉などを流し掛けしたもの、刷毛目(はけめ)、飛鉋(とびがんな)あるいは櫛目(くしめ)、指描(ゆびがき)、などの技法がある。製品は、甕、壺、擂鉢、徳利、片口などの日常雑器が多く、現在も飛鉋、刷毛目、流し掛けなどを施した壺、皿、碗などの日用陶器を生産している。20世紀初頭には柳宗悦やバーナード・リーチにより民芸の陶芸とし喧伝された。

このわざの保持者

福島 善三ふくしま ぜんぞう

2017年保持者認定
小石原焼 中野月白瓷壺

志野しの

志野は、桃山時代(16世紀後半―17世紀初め)に茶の湯の流行の中で盛んに焼かれた我が国独自の陶芸技法の一つである。桃山茶陶を代表する志野として、国宝の「志野茶碗 銘『卯花墻』(うのはながき)」(三井記念美術館蔵)や重要文化財の「鼠志野鶺鴒文鉢(ねずみしのせきれいもんはち)」(東京国立博物館蔵)等がある。江戸時代(1603-1867)以降衰退していたが、昭和初期(1927年)、荒川豊蔵(1894-1985、1955年重要無形文化財「志野」「瀬戸黒」保持者認定、1971年文化勲章受章)が美濃の大萱(おおがや)の窯趾で桃山時代の志野茶碗の陶片を発見し、その後荒川の昔ながらの穴窯の復元や志野等の再現等の努力により、再度その技術が隆盛した。伝統的な制作工程では、美濃地方特有の、百草土(もぐさつち)と呼ぶ卵殻色のやや粗めの粘りの少ない土で成形した後、長石釉を厚く掛けて焼成する無地志野、絵志野、鼠志野等の技法があり、伝統的な陶芸技法の中でも重要な地位を占める。

このわざの保持者

鈴木 藏すずき おさむ

1994年保持者認定
志野茶碗

鉄釉陶器てつゆうとうき

鉄釉陶器は、釉薬に含まれている鉄分によって黒色・茶色・黒褐色・柿色等に呈色する陶器で、別に天目とも呼ばれる。鉄釉陶器は東洋で独自の発展を示した陶芸技法であり、鉄釉が中国・漢時代の1世紀に南部の浙江省で開発されて以来中国各地で作られ、特に北宋時代の定窯の黒定、磁州窯系の黒釉や柿釉、黒釉の上に鉄分の多い赤土を流し掛けた河南天目等が知られている。その影響で日本やカンボジア、ベトナム等東南アジア等で作られるようになった。

このわざの保持者

原 清はら きよし

2005年保持者認定
鉄釉柏に鳥文壺

白磁はくじ

白磁は、陶石や磁土を主原料として成形し、その上に長石、石灰等に木灰を調合した透明釉を掛けて焼成する伝統的な陶芸技法である。工程は、胎土の調合、轆轤または型打ちによる素地の成形・仕上げの後、素焼、釉掛、本焼等を経るもので、彫文様などの素地装飾や緑釉等が併用されることもある。

このわざの保持者

井上 萬二いのうえ まんじ

1995年保持者認定
白磁瓜形壺

前田 昭博まえた あきひろ

2013年保持者認定
白瓷面取壺

備前焼びぜんやき

岡山県備前市伊部(いんべ)一帯で生産する陶器の総称またはその技法。12世紀後半からから始まり今日に至るまで連綿と焼き続けられている。備前焼は、釉薬を用いない焼き締めによる焼成方法が特色で、その陶土は伊部特有の鉄分の多い可塑性に富む田土(たつち)が使われてきた。12世紀末の初期備前焼は須恵器の技術を取り入れて還元焼成による灰青色の碗、鉢、甕を焼成した。15世紀には従来の壺、甕、摺鉢に加えて大型の甕が焼かれ、その製品は酸化焼成による赤褐色を呈した。16世紀に至ると窯は長さ50メートルを超え大型化して、12〜13名の陶工により経営されたため、製品には分別の目的で窯印が刻まれた。また茶の湯の興隆と共に水指、茶入、花生などの茶道具や懐石用の食器や酒器なども制作された。17世紀以降は、岡山藩が備前焼の保護を図ると共に製品の種類や技法、販路などの管理統制を行った。特に17世紀を境として、それ以前のものを古備前と呼んでいる。

このわざの保持者

伊勢﨑 淳いせざき じゅん

2004年保持者認定
角花生

無名異焼むみょういやき

無名異焼は、新潟県佐渡島に伝わる伝統的な陶芸技法である。江戸時代(1603-1867)後期に始まったとされており、佐渡の金銀山の金鉱脈近くから産する無名異土(酸化第二鉄を多く含む赤色粘土)を用いた、赤い土肌を特徴とする陶器の制作技法である。当初は軟質の楽焼風であったが、中国江蘇省宜興窯で明時代(1368-1644)以来造られてきた朱泥系統の無釉硬質の陶芸が開発され、江戸時代末期以来の煎茶の流行の中で盛んになり、初代三浦常山(1836-1903)が明治初期(19世紀末頃)に完成させた高火度の朱泥・紫泥は、中国宜興窯に劣らないものとして評判となった。

このわざの保持者

伊藤 赤水いとう せきすい

2003年保持者認定
無名異焼 佐渡ヶ島大壺

釉裏金彩ゆうりきんさい

釉裏金彩は、陶磁器の素地に金箔や金泥等の金彩を用いて文様を描き、その上に釉薬を掛けて焼き上げる制作技法である。陶磁器に金彩を焼き付ける技法はすでに11世紀末の中国北宋時代にみられ、明時代の嘉靖年間(1522-1566)の景徳鎮では、五彩に金彩を加えた金襴手が隆盛した。我が国では、江戸時代(1603-1867)以降有田や京都、九谷、薩摩等の地において独自の発達を遂げてきた。なお、金箔の製造技術「縁付金箔製造(えんつけきんぱくせいぞう)」が文化財の保存ために欠かせない材料の製作技術として、選定保存技術に選定されている(保存団体:金沢金箔伝統技術保存会)。

このわざの保持者

吉田 美統よした みのり

2001年保持者認定
釉裏金彩木槿文飾皿
  • 【出典】「伝統工芸ってなに?-見る・知る・楽しむガイドブックー」編:公益社団法人日本工芸会東日本支部、発行:美術書出版 株式会社 芸艸堂新規ウィンドウで開く
  • 「日本の人間国宝・伝統工芸」監修:公益社団法人日本工芸会、発行:上海世久非物質文化遺産保護基金会発行、協力:公益財団法人笹川平和財団笹川日中友好基金
  • 2023年3月31日時点の認定情報を元に掲載