染織人間国宝のわざ紹介

染織とは私たちの生活に欠かすことのできない布を、染めたり織ったりする技術のことです。染物は白生地にいろいろな色の染料で模様を染めます。糸目糊(いとめのり)というのりで模様を描く友禅染や、型を使って染める型染があります。織物はたて糸とよこ糸を織り機にかけて交互に組み合わせて織り、生地を作ります。糸の染め方や織り方によっていろいろな模様を作ることが出来、どんなに複雑に見えても、たて糸とよこ糸の組み合わせによってできています。

江戸小紋えどこもん

小紋染は、江戸時代(1603-1867)武家の式服・裃の染色法として隆盛した。染の工程では、一枚板に張られた絹の白生地に型紙を順次当て、防染糊を生地に置いていく型付が中心となる。染色は大正初期(20世紀初頭)まで顔料を刷毛で引く地染が行なわれていたが、色糊をシゴイて地染する堅牢度が高く、色落ち・色焼けし難い現代感覚に沿った技法が誕生している。木綿に型紙で糊置きして、藍染にした浴衣染の中形(1955年「長板中形(ながいたちゅうがた)」として第一次重要無形文化財に指定。現在は指定解除。)などに比べると、角や丸、花弁形等、さらに縞等の精緻を極めた細かく粋で、多様な単位模様を一色に染め出す型染技法である。その製品は、遠目には無地に見え、近づけば型や染めの美麗さが目に付く染色品であり、明治時代(1867-1912)以後はこの趣味が婦人の着物等に受け継がれた。

このわざの保持者

小宮 康正こみや やすまさ

2018年保持者認定
突彫小紋両面染着尺「瓦連子」

献上博多織けんじょうはかたおり

博多織の基礎が確立したのは、室町時代(1338-1573)末頃に博多の地で帯地用等絹織物を織り出してからだといわれる。江戸時代(1603-1867)には、福岡黒田藩がこれを保護・奨励し、毎年藩から帯地その他の織物を幕府への献上品としたことにより献上博多の名称も起こった。博多織の主な製品である帯は、仏具の独鈷(とっこ)・華皿(はなざら)模様等を図案化した独特の文様を経糸によって織り出したもので、経糸の密度を高くし(約8,200本)、太い緯糸(20本を合わせる)を打ち込んで横畝状を示す平織の織物は、固く締まってしかもしなやかな地合を特色とする。特色ある独鈷・華皿文の縞柄は、部分的に二重経とし、紋経糸を浮かせて織り出す。

このわざの保持者

小川 規三郎おがわ きさぶろう

2003年保持者認定
博多献上袋帯

精好仙台平せいごうせんだいひら

いわゆる仙台平は、江戸時代(1603-1867)の中期頃に、仙台伊達藩が織物師を召し抱え、藩御用の織物を織らせたことに始めるといわれ、歴代藩主の保護・奨励のもとに発達した絹織物である。近代以降生活様式の変化等によって次第に衰退をみたが、この技法による工芸史上の価値は高く評価されるものである。精好仙台平は、糸と植物染料を吟味し、経糸は2本の練糸を撚りをかけずに一つにあわせ用い(幅約40センチに10,000本以上)、緯糸は撚りの無い太めの生糸を濡らして強く打ち込む「濡緯(ぬれぬき)」を特色とする。こうして製織されたものは張りがあって固くなく、しなやかな独特の風合いを持ち、皺になりにくく長い年月その良さが変わらず、端然と形が整う袴地である。男性の紋付袴という礼装が極端に減った今日も、邦楽演奏家、歌舞伎や能役者、そして茶道、大相撲関係者等の袴地として愛用されている。

このわざの保持者

甲田 綏郎こうだ よしお

2002年保持者認定
精好仙台平 袴地 「鵲瑞」

紬織つむぎおり

絹織物の一つで、屑繭(くずまゆ)から作った真綿(まわた)を引き伸ばした紬糸で織られた織物。紬は養蚕の過程で生じた屑繭をいったん煮ることで膠分を除いて真綿とし、それを糸に紡(つむ)ぎ、その紬糸で織り上げたもの。本来は、養蚕農家の自家用の衣類とするものであった。しかし一見すると木綿のように見えて、絹特有の軽くて柔らかく、暖かさを持つことが好まれて、江戸時代後期には特に町人階級に好んで用いられた。明治期になると、その素朴な味わいが好まれて次第に高級化して各地で特色ある紬織が名産として生まれた。紬織は平織の組織を主体とし、経糸、緯糸に用いた色糸を組み合わせて格子や縞模様を表す縞織、あらかじめ模様にそった部分を防染して染めた絣糸(かすりいと)を用いた絣織(かすりおり)がある。絣糸は、糸の束にビニール紐などを巻いてくくった括り染、板締めや版木を用いた捺染(なつせん)などによって染色する。この絣糸を平織すると模様が表れるが、絣糸を経にのみ用いた経絣(たてかすり)、緯にのみ用いた緯絣(よこかすり)、また経・緯共に絣糸を用いた経緯絣(たてよこかすり)がある。

このわざの保持者

佐々木 苑子ささき そのこ

2005年保持者認定
紬織着物「碧空」

村上 良子むらかみ りょうこ

2016年保持者認定
紬織着物「雨」

紅型びんがた

紅型は、型紙や筒描(つつが)きによって文様を糊防染し、その上から顔料や染料で染めを施す技法であり、華やかな色使いに大きな特色がある。18世紀の琉球王国で技法が定着して「形付」(カタチキ)と呼ばれ、現在でもカタチキの語は型染めを指す。紅型(びんがた)という言葉が使われるのは20世紀に入ってからである。紅型の伝統技法は「型染」と「筒描き」に大別される。型染は、ルクジュウ(豆腐を陰干しして固めたもの)を下敷きにして型紙を彫り、これを布帛に当てて糊を置き、模様の部分に染料、顔料で色差し(紅入(ビンイ)りともいう)、隈取(クマドリ)(暈し)を行い、糊で伏せた後、地色を染め、糊を洗い落し色止めをして仕上げる。筒描きは、糊筒を使ってフリーハンドで模様を描く。多彩な色材は、琉球藍、福木などの植物染料や、鉱物を原料にした顔料である。

このわざの保持者

玉那覇 有公たまなは ゆうこう

1996年保持者認定
紅型両面染着物「つるぼたんに霞文様」

木版摺更紗もくはんずりさらさ

木版摺更紗は、木版と型紙の併用で木版型の摺り出し方に特徴がある染色技法である。近世初頭(17世紀初頭)に舶載されたインドの更紗(草花模様を染めた木綿布)等の影響を受けて制作された「和更紗」と呼ばれるものの技法の一つで、佐賀鍋島藩の保護のもとで受け継がれ、「和更紗」のなかでもきわめて格調の高いものである。しかし、近代に入り(19世紀後半以降)需要がなくなり、大正の初期(20世紀初頭)にはその技術は失われてしまった。その復元を成し遂げたのが鈴田照次(すずたてるじ)(1916-1981)で、「鍋島更紗秘伝書」と「見本帖」との出会い、その後十年余のインド・東南アジア、そして沖縄の更紗資料等の博捜と調査研究を重ねた。その成果の結実が1972(昭和47)年第19回日本伝統工芸展出品作「木版摺更紗着物『松文』」(東京国立近代美術館所蔵)であった。

このわざの保持者

鈴田 滋人すずた しげと

2008年保持者認定
木版摺更紗着物「紫宴」

紋紗もんしゃ

紋紗は、隣り合う経糸を搦ませて組織する綟織(もじりおり)の一つで、文様を表した紗の織物制作技法であり、地と文様の部分を組織の違いによって織り表す点に特徴がある。紗地に文様の部分を平組織にした顕紋紗と、平地に文様を紗の綟組織にした透紋紗とがある。織り目に部分的に透けた空隙が生じ、その織物は薄くて軽く、優美なものであり、夏向きの衣料として着用されてきた。我が国では、平安時代(794-1185)以降、「うすもの」と称して、公家などの袍(ほう)・狩衣(かりぎぬ)・直衣(のうし)などの装束類の夏衣装に広く用いられてきた。

このわざの保持者

土屋 順紀つちや よしのり

2010年保持者認定
紋紗着物「椿姫」

友禅ゆうぜん

糊置防染法による多色模様染め技法の一つ。友禅は、江戸時代17世紀に完成された絵模様染めで、その特徴は糊置による自由な描線の表現ができることから、色挿しが他の染色技法に比べてはるかに自由となり、華麗な色彩効果と絵画的な表現に特色がある。友禅には、糸目(いとめ)友禅、堰出(せきだし)友禅、無線(むせん)友禅、叩き友禅の染色技法があり、その他にも明治時代に誕生した写糊(うつしのり)による型友禅(かたゆうぜん)がある。最も一般的な糸目友禅の技法は、青花(紫露草の花弁から採取した青い汁)で白生地に下絵を描き、口金をつけた筒を用いて下絵の輪郭線を細い線状でなぞる糸目糊置を行う。糸目糊は主に糯米粉に石灰を混ぜて蘇芳で着色した糯米糊を用いるが、近年ではゴム糊も用いる。この糊置した部分が糸目と呼ばれて、防染の効果で仕上がった時に文様の輪郭線として白く表れる。糊置が終わると、青花は水分で容易に分解する性質があり、水で除去して、糸目糊で囲まれた部分に色を挿す。これを友禅あるいは挿友禅という。そして文様部分を糯米糊で覆う糊伏せを施してから地染めを行なう。最後に生地を水洗いして、糊や余分な染料を洗い落として完成させる。友禅の名称は江戸中期(17世紀末)に京都で活躍した宮崎友禅に由来すると言われるが、この技法の創案者ではない。

このわざの保持者

森口 邦彦もりぐち くにひこ

2007年保持者認定
友禅着物「位相網代文様」

二塚 長生ふたつか おさお

2010年保持者認定
友禅訪問着「春動く」
  • 【出典】「伝統工芸ってなに?-見る・知る・楽しむガイドブックー」編:公益社団法人日本工芸会東日本支部、発行:美術書出版 株式会社 芸艸堂新規ウィンドウで開く
  • 「日本の人間国宝・伝統工芸」監修:公益社団法人日本工芸会、発行:上海世久非物質文化遺産保護基金会発行、協力:公益財団法人笹川平和財団笹川日中友好基金
  • 2023年3月31日時点の認定情報を元に掲載